復興までの軌跡 復興までの軌跡 台風19号の被災から復興までのキセキの物語

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「市内唯一の精神科病院を残したい」 台風19号の被災から復興までの軌跡

2019年10月 台風19号の上陸で東日本は記録的な大雨となった。
栃木県栃木市の大平下病院では、建物が浸水し入院患者全員が避難することに。
施設に被害を受け、患者が戻らないまま、人知れず閉院することが決まっていた……

「このまま復興しないなんてだめだ」

立ち上がったのは群馬県にある医療法人高柳会赤城病院の院長・関口秀文。
ふとしたきっかけで県境を越えてつながった“縁”から、大平下病院は再開にむけて動き出す———

これは市内唯一の精神科病院を残し、地域の医療をまもろうとした人々の物語です。

Phase01
市内唯一の精神科病院をおそった災害
被災以前の病棟外観

写真=被災以前の病棟外観

〈外来〉
精神科外来/神経内科・内科外来
〈病棟〉
精神科一般44床/精神科療養50床/認知症疾患治療50床

大平下病院は大正11年に藤沼文榮が開業した「藤沼医院(内科・耳鼻科)」を起源とし、昭和30年に藤沼文雄によって設立。

自然豊かでありながら、東西南北に交通網が形成されている栃木市の中心部に位置し「入院治療にも外来通院にも最適」といわれた。後年は認知症治療に力を入れており、認知症治療病棟を開設し、栃木県ではじめて認可されている。

60年以上にわたって地域の精神医療を支えてきた、栃木市内で唯一の精神科病院だった。

2019年10月12日 台風19号 日本上陸

めくれた道路
流れてきた枝
曲がったガードレール

台風19号は大型で強い勢力を保ちながら上陸し、関東地方を通過。
広い範囲で大雨・暴風・高波・高潮となり、
住家の浸水や全半壊、死者・行方不明者が相次いで報告された。

栃木市でも主な河川の堤防決壊や溢水、山間部では土砂崩れも発生。
道路は冠水し一面が茶色い濁った水に沈んだ。
鉄道などの公共交通機関はストップ。
住家浸水は8000棟以上にもなった———

濁水が廊下の強化ガラスを破って流れこんだ

同日、大平下病院———

利根川水系の一級河川・永野川が決壊し、濁水が廊下の強化ガラスを破って流れこんだ。職員と患者は2階に避難して無事だったが、1階は浸水で水位が1m~1m20cmほどにもなり、身動きがとれない。水・電気・ガスなどのライフラインが断たれたなか、職員・患者あわせて約80人が孤立状態に陥っていた。

未曾有の状況でどう対応すればいいのか。

濁水で押し流された待合ソファ

濁水で押し流された待合ソファ

濁水に浸かった調理室。大型の機械も倒れている

濁水に浸かった調理室。
大型の機械も倒れている

病室のカーテンの泥の跡から、浸水の高さが伺い知れる

病室のカーテンの泥の跡から、
浸水の高さが伺い知れる

Phase02
「患者を守れ」全患者避難の決断
DPAT避難風景

翌13日にかけつけたDMAT・DPATから現場の衛生状態や職員の精神状態についての見解も聞き、当時の大平下病院の院長・藤沼仁至は「全患者避難」を決断した。

全患者避難は、病院職員が患者や家族との連絡、栃木県庁が他医療機関との調整、栃木県精神衛生協会が他医療機関への協力要請、DPATが転院調整、DMATが搬送車両手配……と役割分担してすすめられた。

5日間かけて、全患者73人の移送を完了した。

DPAT避難風景

このときDPAT事務局員として本部支援に入っていたのが、群馬県の医療法人高柳会赤城病院の院長・関口秀文だ。栃木県庁調整本部にて患者搬送調整等についての県庁職員支援を行い、DMATと連携して大平下病院の全患者避難に携わった。

全患者避難完了の段階で役割を終え、解散。群馬に戻った関口だったが、休止状態になっていた大平下病院の「復興」がずっと頭の片隅にあったという。

関口は当時を思い出してこう話していた。

「災害派遣医療チームは「目の前の患者さんを助ける」という急性期医療に重点を置く組織になっています。でも、被災者には生き残って続いていく“その先”があります。災害医療においては“その後”も大事なんだと考えていたので、大平下病院がどう復興していくのかがずっと気になっていました」

Phase03
地域の医療を守るために

大平下病院は再開しない。 このまま閉院する―――

関口がそれを聞いたのは翌年の2月下旬。

栃木DPATの集まりに参加したときのことだ。

「再開(復興)しないのか」と衝撃を受けた。

これがもし市内唯一の救急病院だったらどうだろう?なくしてはいけない!と声があがっていたのではないか。

地域に必要なはずの精神科医療だが、ほとんど注目されていないのが現状だ。

関口は、再開の可能性がすこしでもあれば支援を申し出たいと、藤沼院長に直接電話した。

しかしそこで打ち明けられたのは、閉院の「ほんとうの理由」だった。

———藤沼院長は被災後、自身の病気が発覚。

「患者や職員には申し訳ないが、『責任をもって復興させる』と断言できる体調ではない」と病院再開を断念した。

そこで、関口は驚きの行動に出る———「だったら自分がかわりにできないですか」と申し出たのだ。

理事長

「それまで『どうして復興しないのか』という疑問がありましたが、医療者として、そして多くの職員を抱える経営者として、責任と覚悟をもってやっていたからこの決断に至ったんだなと納得しました。

なおさらこれまで地域の精神医療を支えてきた、市内唯一の精神科病院がなくなるのはあってはならないと感じ、自分にやれることならやろうと事業承継を提案しました」

Phase04
これからの大平下病院
大平下病院外観

自然豊かでおだやかな環境の中にあり、患者の医療・療養の場となってきた大平下病院。

今後はそうした大平下病院の魅力を引き継ぎながら、高柳会の目指す「身体合併症に対応する精神科救急」を実践するための拠点となる。

身体合併症とは、精神疾患と身体疾患が合併している状態のこと。

こうした患者は高齢化で年々増加傾向にあるが、「精神科医のいない総合病院」「内科医のいない精神科病院」では十分な対応が難しいのが現状だ。

救急病院でも、運びこまれた患者に精神症状がある場合、適切な精神医療へつなぐのに苦慮するという。

そこで、医療法人高柳会赤城病院では、さまざまな体制構築をおこない、
この問題の解決に取り組んできた。

救急車型ドクターカー MobilePCU

救急医療機関に精神症状のある患者さんが運びこまれたときに精神科医がかけつけ、診察協力・搬送協力をおこなう「救急車型ドクターカー MobilePCU」

病院外観

近隣内科病院と連携システムを構築することで、それぞれ精神疾患領域・身体疾患領域をカバーしあう

診察風景

積極的に専攻医を受け入れ、心も体も診ることができる医師の育成を目指す

そんな赤城病院のシステムを 大平下病院でも展開し、
栃木の地域医療に貢献したい―――